へらずぐち |
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2023年 04月 16日
子どものころから「一言多い」といわれる人間だった。人から「ありがとう」と言われても、心の中では、「アリが十ならミミズは二十歳」と思っていた。「へらずぐち」である。「無駄口」ともいう。 一昔前、関東人が、関西人の言う「そうか」に対して、「草加・越谷、千住の先」とはやし立てるタグイである。 「批判精神」の表れという人もいたが、私自身、「批判精神」など育たずに、コトバの面白さだけが育った。 そういううるさい子供を相手に、何も言わずに応対してくれた親父に感謝する。 年齢とともに、そういう父親のことをもっと知っておくべきであったと思わぬわけではない。すぐ下の弟から電話がかかってくると、弟がオヤジそっくりで、自分が嫌で逃げ回ってきたのにと、つい、ケンもホロロになってしまう。 一昔前、回文に凝っていたことがある。上から読んでも下から読んでも同じというやつである。「えとひつじ」が「じつひとえ」となることばかり浮かんで終わったが、「実一重」に父親を意識していたかもしれない。というのは、オヤジの干支が羊であること を覚えていたからである。オヤジの生年が明治40年、ひつじ年であった。
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by nostal_z
| 2023-04-16 16:12
| のすたる爺通信
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2021年 04月 10日
本は、大体がブログの通りですが、順番ちょっと違います。
第一章「張込み」第二章「一年半待て」第三章「地方紙を買う女」第四章「点と線」第五章「眼の壁」第六章「ゼロの焦点」第七章「波の塔」第八章「霧の旗」第九章「砂の器」第十章「半生の記」第十一章「駅路」第十二章「けものみち」の順です。 ブログより、読みやすくなったと自負しているのですが、読んでいただければ幸いです。大きな本屋にしか置いてなく、注文してから手に入るまで時間がかかると思います。消費税込みで1540円です。 著者
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by nostal_z
| 2021-04-10 08:56
| 松本清張と昭和30年代
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2020年 05月 15日
「後味が悪い」「理不尽ともいえる復讐」…『霧の旗』『眼には眼を』に共通する、このテーマの意味は大きい。 「一寸の虫にも五分の魂」という、古いことわざがあった。「小さく弱いものにも、それ相応の意地があるから侮りがたい」と『広辞苑』にある。 昔から、日本社会にも格差はあった。犯罪は社会秩序を破壊するものと、怖れられ、憎まれてはいたが、それは、庶民の一種の抵抗と考えられており、許されていたように思う。 子どものころ、愛読した『銭形平次』のシリーズなど、「罪を憎んで人を憎まず」という考えで一貫していた。 それが、戦後、大きく変わった。 「自己責任」というようなエラソウな言葉を口にするようになり、守れなかった人を袋叩きするようになった。 松本清張の新しさは、そういう、虐げられていた庶民のヤムニヤマレズ犯した罪を守る意味があった。「社会派推理小説」の誕生である。 しかし、『霧の旗』は、もう少し先のことを考えている。それが、この小説の読後感の複雑さ、何かすっきりしない思いになっている。 少し以前の話だが、大阪でサミットが行われたことがあった。 世界中から経済の専門家が招かれ、大々的に行われた。会議場は、大阪湾の人工島のホテル。各国の代表者の宿舎は、島とは無関係の市内のホテル。島のホテルで、定時に会議が始まるよう、大阪市内で、厳しい交通規制が布かれなくてはならない。 人工島へ通じる鉄道は、一般客の利用禁止。島の中にある、官公庁、公立学校は休校となった。小学校・幼稚園まで休校になったが、「保育所だけは開けてくれ」という要望が強く、保育所のみ、平常通りになった、という。 国民生活を支えるカゲの存在、それが平常どおり運行できなければ成り立たない現実、というものを強く感じた瞬間だった。その後のコロナ騒ぎのときはどうなったか、私には遠い世界の事ながら気になった。 昔、ギリシャのアテネでは、ソクラテス、プラトンをはじめ、多くの学者が生まれ、議論を戦わせたが、それを支え、日常生活の雑事をこなしたドレイの存在に気づいた人は少ない。 現在は、そういうドレイを必要とする社会になったのか、というのが、私の感想である。 「アメリカンドリーム」ということばは、「社会的格差は、各人の努力によって何とかなる」と思われていたところに発生する「幻想」であるが、現代、「いくら努力をしても、どうにもならぬ」というのが、庶民の実感になりつつある。 「一寸の虫にも」というのは、「社会派推理小説」のヨリドコロであったはずだが、現実はそう甘くない。庶民が「幻想」に気づいたところに発生する犯罪は、それを越えて暴走する。 「理不尽」というのは、そういう体制の上で、栄華の夢をむさぼってきた「貴族」の思いで、事実は、格差社会の底辺から起こる暴動、今まで「下流」と蔑んできたドレイの反逆ではないか。 #
by nostal_z
| 2020-05-15 16:44
| 松本清張と昭和30年代
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2020年 05月 14日
『霧の旗』が書かれる前、昭和33年10月5日号から「週刊朝日」に連載された『黒い画集』の第2話『証言』は、こういう日常生活に潜む恐ろしさがテーマであった。 昭和35年に、『黒い画集 あるサラリーマンの証言』という題名で、映画化されている。 某社の課長・石野は部下の女性との情事の帰り道に、知人・杉山に会う。数日後、杉山は殺人事件の容疑者になり、アリバイ立証のために石野に証言を求めるが、石野は自分の地位や家庭を守るために証言を拒否する。(『ぴあシネマクラブ(邦画編)』1998年による) ここでは、保身のために、証言を拒否され、殺人容疑で裁かれる怖さが描かれる。 そういえば、『ゼロの焦点』も、『砂の器』も、保身のための殺人であった。 それよりも、『霧の旗』には、連載の前年、昭和33(1958)年に日本で公開されたフランス映画『眼には眼を』(アンドレ・カイヤット監督)の影響が大きかったのではないか。 この映画のテーマも、「理不尽な復讐」である。 映画『眼には眼を』のあらすじはこうである。 地中海近くの中東の小都市の病院に勤務している医師ヴァルテルは、昼間の激務のために疲れ切っていた。そこへボルタクという男が、急病の妻を診てくれといってきた。彼とは一面識もなかったし、自宅では手当のしようもないので、病院へ行くように言って、ヴァルテルは断った。 翌朝、彼が病院へ行くと、宿直医師が外妊娠を虫垂炎と誤診したため、昨夜の患者が死んだことを知った。ヴァルテルは怒りと後悔を感じたが、同時に、不可抗力だとも思いなおした。 ところが、その後、彼の身辺に不気味なことが起こり始めた。 「後味が悪い」、「日本的でない」というのが、昭和33年映画公開時の、日本人の受け取り方である。 映画評論家河野基比古はこう、書いている。 「社会派アンドレ・カイヤット監督の力作。復讐劇だが、その底流に東洋人の白人に対する根強い憎悪を見据え、その憎悪が結局自らを 滅することになるという結末は、現代社会への痛烈な警告ともなっていた」と書く。 「目には目を 歯には歯を」というのは、昭和50(1975)年刊行の『日本国語大辞典』によると、 「自分が受けた害に対して同様な仕返しをすることのたとえとして用いられる。バビロニアのハンムラビ法典にあることばであり、旧約聖書にも出てくるが、イエス=キリストがそれを「山上の垂訓」の中で用いたことにより、有名になった」とある。 昭和30(1955)年刊行の『広辞苑初版』には載っていないが、平成3(1991)年刊行の『広辞苑第4版」には、こうある。 「目には目を、歯には歯を」 「ハムラビ法典に見え、旧約聖書出エジプト記にも出る。キリストの「山上の説教」で有名。害を与えられたら、それに相応する報復をすることのたとえ⇒同害報復」 なお、同じく『広辞苑第4版』によると、「同害報復」とは、「タリオ talioラテン語の訳語」とあるから、法律用語なのか。
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by nostal_z
| 2020-05-14 14:54
| 松本清張と昭和30年代
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2020年 05月 12日
阿部啓一は、仕事の同僚に誘われて、銀座のバー「海草」へ行き、そこで働いている桐子に会う。 バーの女主人は九州出身、彼女に誘われて、桐子は上京した。 大塚弁護士の愛人径子は、銀座の高級フレンチ・レストラン「みなせ」の女主人。店の給仕頭杉浦健次は、バー「海草」の女主人の弟、彼は径子の愛人でもある。 大塚と径子が箱根に遊びに行ったとき、健次が箱根のホテルに押しかけ、健次と大塚弁護士が顔を合わせたことがあった。 健次はまた、桐子と同室で暮らす、バーの同僚信子と深い仲である。健次が近ごろ、信子に冷たいので、信子に頼まれた桐子が、健次の後をつけ、ある家で健次が殺害され、その直後に径子がその家に入るのを、桐子は目撃する。 「わたしがやったのではありません」その女は叫んだ。 「わたしに、あとで疑いのかかったときに、あなたが証人になって頂きたいんです」 径子とともに、健次の殺害された現場を見た桐子は、目についたライターを隠し、偶然拾った径子の皮手袋を現場に残す。 径子は逮捕され、参考人として調べられた桐子は答える。 「わたしは、河野径子さんなどという人を、聞いたことも、見たこともありません。また、その晩、そのような場所に行ったこともありません」 大塚弁護士は、愛人とのスキャンダルを暴かれ、家庭は崩壊し、社会的な名声も失墜する。 彼は、愛人の無罪を信じ、それを晴らそうと、桐子に迫る。 翌日、取り調べの検事宛に、桐子からの「内容証明郵便」が届き、径子の無実を証明してほしいと、大塚弁護士に迫られたことが記されていた。 「後味が悪い」というのが、独語の感想である。 #
by nostal_z
| 2020-05-12 09:00
| 松本清張と昭和30年代
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