2012年 05月 24日
十三番線には、電車はまだはいっていなかった。安田はホームに立って南側のとなりのホームを見ていた。これは十四番線と十五番線で、遠距離列車の発着ホームだった。現に今も、十五番線には列車が待っていた。つまり、間の十三番線も十四番線も、邪魔な列車がはいっていないので、このホームから十五番線の列車が見とおせたのであった。
「あれは、九州の博多行きの特急だよ。あさかぜ号だ。」
安田は、女二人にそう教えた。
東京―博多間を走る寝台特急「あさかぜ」は、『点と線』連載が始まる直前、昭和31年11月、戦後発の夜行特急列車として誕生した。「夜を駆け抜け、さわやかな朝の風を受けて走る」というイメージから、その名がつけられたという。
東京―博多間を17時間25分で結び、当時はまだ既存の客車を使用したが、連日満員の盛況で、「あさかぜ」の誕生が、ライバル路線、日本航空の深夜便「ムーンライト」を休止に追い込んだといわれる。
東京から出張した三原警部補は、18時2分発の上り急行「雲仙」で帰京する。東京まで約21時間30分。警視庁からの出張では、特急に乗れなかったのだろう。
「あさかぜ」は、2年後の昭和33年10月には、全車冷暖房完備、居住性に優れた豪華設備で、「走るホテル」と呼ばれる人気列車となる。先頭に電源車、中間に食堂車、その前後に座席車、寝台車、個室寝台車があった。それまでの国鉄車両の常識を破って、客車は濃いブルーで塗装されていた。「ブルートレイン」の名の起こりである。
「かつて夜行列車で九州へ行くことがステイタスだった時代があった」と、紀行作家・芦原伸は書く。
東京駅の夜のホームは、乗客や、見送りの大勢の人々で賑わっていた。転勤のサラリーマンを激励する同僚たちの万歳三唱、役員クラスの出張を名残惜しそうに見送る銀座の蝶たち。あるいは若き恋人同士のしばしの別れ…。そこには数々のドラマがあり、遠地へと向かう者への惜別と寝台特急利用への多少の嫉妬が入り混じっていたような気がする。
(『さらばブルートレイン!』)
今では、理解しにくくなったことだが、安田に教えられ、15番線のお時を眺める「女二人」の視線にも、羨望と嫉妬があったようだ。
「あれは、九州の博多行きの特急だよ。あさかぜ号だ。」
安田は、女二人にそう教えた。
東京―博多間を走る寝台特急「あさかぜ」は、『点と線』連載が始まる直前、昭和31年11月、戦後発の夜行特急列車として誕生した。「夜を駆け抜け、さわやかな朝の風を受けて走る」というイメージから、その名がつけられたという。
東京―博多間を17時間25分で結び、当時はまだ既存の客車を使用したが、連日満員の盛況で、「あさかぜ」の誕生が、ライバル路線、日本航空の深夜便「ムーンライト」を休止に追い込んだといわれる。
東京から出張した三原警部補は、18時2分発の上り急行「雲仙」で帰京する。東京まで約21時間30分。警視庁からの出張では、特急に乗れなかったのだろう。
「あさかぜ」は、2年後の昭和33年10月には、全車冷暖房完備、居住性に優れた豪華設備で、「走るホテル」と呼ばれる人気列車となる。先頭に電源車、中間に食堂車、その前後に座席車、寝台車、個室寝台車があった。それまでの国鉄車両の常識を破って、客車は濃いブルーで塗装されていた。「ブルートレイン」の名の起こりである。
「かつて夜行列車で九州へ行くことがステイタスだった時代があった」と、紀行作家・芦原伸は書く。
東京駅の夜のホームは、乗客や、見送りの大勢の人々で賑わっていた。転勤のサラリーマンを激励する同僚たちの万歳三唱、役員クラスの出張を名残惜しそうに見送る銀座の蝶たち。あるいは若き恋人同士のしばしの別れ…。そこには数々のドラマがあり、遠地へと向かう者への惜別と寝台特急利用への多少の嫉妬が入り混じっていたような気がする。
(『さらばブルートレイン!』)
今では、理解しにくくなったことだが、安田に教えられ、15番線のお時を眺める「女二人」の視線にも、羨望と嫉妬があったようだ。

