童年往時<82 メタセコイア> |
私が卒業した高校の玄関脇に、2本の大きなメタセコイアの樹があり、亭々とそびえ、葉を茂らせている。
あの樹が昭和29年卒業生の卒業記念樹であることを知っている人は少ない。
現在、メタセコイアはありふれた樹で、どこでも目にすることが出来るが、当時はそうではなかった。
メタセコイアは、白亜紀、第三紀に栄えた樹で、絶滅したと考えられていたが、中国四川省で1943年に発見され、生きている化石植物と騒がれたこともある。昭和24(1949)年に、アメリカで育てられた苗が、日本に伝えられて広く植えられるようになったという。
受験勉強を始めて以来、小説を手にすることもなかったので、昼休みに図書館で旺文社の受験雑誌「蛍雪時代」を読むのが楽しみだった。
当時の「蛍雪時代」文芸投稿欄は充実していて、詩の部門、第1席に「県立青森高校三年寺山修司」の名があった。
文芸欄で「学生短篇小説」懸賞募集があり、昭和29年9月号に、その年の結果が発表され、選者荒正人の「選後評」が出ている。
応募者472名、その中に私と同じ高校の生徒がいた。
2等(2名) 「メタセコイア」 大手前高卒業 神崎玄
「花火」 大手前高3年 山下邦智
どちらもペンネームで、本名は今にいたるまで不明である。
「メタセコイア」は、卒業記念に屋上に電気時計をつける係に選ばれた主人公の目を通して、受験を控えた高校生の心理、学校の雰囲気、教師の姿が描かれていて面白かった。
小説の終わり、卒業式の日に「妙にへなへなした木が植わっている」そばに、主人公は自分で板を削り、自分が墨で書いた立て札を立てる。
「メタセコイア、O高校第6回卒業記念、昭和29年3月」
自分の身近に小説を書く人間がいる。身近の題材を使って…。この衝撃は大きかった。
文学へのあこがれが生まれ、メタセコイアの樹が、今日まで続く、私の「見果てぬ夢」のシンボルになる。