童年往時<87 腕時計> |
高校入学のお祝いに「腕時計」を、という風習も、遠い昔の話になった。
それよりずっと以前、私が高校生であった時代に、腕時計を持つ高校生は少なかった。(カメラを持つ高校生は、もっと少ない)。
日頃、あまり意識したことがなかったが、ある時、体育の授業の日にカゼを引いて見学することになり、みんなの貴重品を預かった。
集まった腕時計を腕にはめた。
戦前の少年マンガ『冒険ダン吉』の気分である。
片腕にはめきれずに両腕に付けたが、それでも10個に満たない。
腕時計を持つ生徒が少なかったのは、学校生活で時計の必要がなかったからである。
授業は始業のベルで始まり、ベルで終わる。試験の時は、考査時間の真ん中と終了5分前に、監督の先生から声がかかる。真ん中に声がかかるのは、それを過ぎれば、答案を提出して退室してもよい、という内規があったからである。
3年生の後半にもなると、ある程度、答案が書けたと思えると提出、退室して、次の時間の準備をする生徒が増えた。
モギ試験の場合はそうはいかない。考査時間は充分あるが、自分で時間配分して問題を解かねばならない。家から目覚し時計を持ち込んで、机の上に置いて試験を受けたことがある。
大学受験の時は、父が自分の腕時計、我が家で唯一の腕時計を貸してくれた。
腕時計を必要としなかったのは、それほど、時間単位、分単位の生活に追われていなかったからであろう。
大学を卒業し、給料を貰って、初めて自分の腕時計を買った。
現在の時計と違って、ズシリと重かったのを覚えている。
あの重さは、社会人としての責任の重さなどではなく、時間に追われる奴隷の鎖の重さだったのか。
大学を卒業して10数年ばかりした頃、夕暮れ時に街を歩いていて、公園で遊んでいる小学生に時間を訊かれたことがある。
教えてやると「ジュクの時間だ」と、遊びを中断して走り去った。
現在の小学生は、みんな、時計を持っている。重量は軽くなったが、奴隷の鎖であることに変わりはないだろう。