<「ゼロの焦点」 その8> |
後年、仕事で金沢へ行った憲一は、久子に出会い、同棲するが、結婚する意志がなかった憲一は、久子に偽名を使う。
憲一は、また、仕事で室田社長と知り合い、夫人の佐知子に紹介される。前歴を隠して結婚し、現在では、金沢地方の名流婦人になっていた彼女は、自分の暗い過去を知っている人間に、突如再会したことで、不安と恐怖に駆られる。
佐知子は、房州勝浦の、網元の娘で、幸福な時代に育ち、東京で、ある女子大に入った。敗戦後、社会構造が変わり、個人の生活や経済が大きく脅かされた中で、彼女の家庭も打撃を受け、彼女を、ある種の職業の女の世界に、一時期、引き入れたのではないか。
テレビで、女性の評論家が、あの時代の、そういう女性について語るのを、禎子は聴く。
「親切なアメリカ兵が、女性の憧景だった」
「女子大を出た人も、かなりいました」
「威張っていた日本の男性が、だらしなく、無気力になったので、その反発も、大いにあった」
事件の追及者が、若い女性(禎子)であり、彼女は、犯罪の追及の過程で、戦後のあの苦しい時代を生き抜いた、自分より少し上の世代の女性たちの生き方を、少しずつ理解して行く。
憲一には、夫人の前歴を暴くとか、彼女を脅迫するとかの悪意は全くなかったが、佐知子の心は、「絶えず、不安感に蒼ざめていた」のではないだろうか。
自分の過去の犯罪がバレないように、殺人を犯す男の物語(「顔」「声」「共犯者」)をいくつか、松本清張は書いている。水上勉『飢餓海峡』も、それにあたるが、『ゼロの焦点』や、同じ作者による『砂の器』は、犯罪というわけでもないが、人に知られたくない、自分の「忌まわしい過去」を知っている人物を殺す物語で、どちらの小説も、殺される人物が、加害者に対して、悪意を持たない人であるだけに、やりきれない。
殺人者ではあるが、佐知子の気持を考えると、禎子は哀れでならない。もし、その立場になっていたら、禎子自身にも佐知子夫人となる可能性がないとはいえない。
いわば、これは、敗戦によって日本の女性が受けた被害が、十三年たった今日、少しもその傷痕が消えず、ふと、ある衝撃をうけて、ふたたび、その古い疵から、いまわしい血が新しく噴き出したとは言えないだろうか。
禎子は、そう思うのである。