『レ・ミゼラブル』の楽しみ方<83 エポニーヌの死> |
かすれた、しゃがれ声に誘われて、マリユスがバリケードに来たのは、この直後だった。
ちょうど、攻撃する警官がバリケードに入って来ようとしていた。一人の巨漢が、ガヴロッシュめがけて、銃剣を突き付けて進んで来る。銃剣がガヴロッシュに触れる前に、ピストルの銃弾が警官の額を貫き、ガヴロッシュは助かった。マリユスの銃である。
一発目で子供を救い、二発目で友人を救ったマリユスが、弾丸のきれたピストルを捨てたとき、一人の兵士が彼に狙いをつける。
その時、若い労働者の手が、兵士の銃身の先端に伸び、ふさいだので、弾丸は発射されたが、マリユスは助かる。弾丸は、若い男の手を貫き、彼の体も貫いて、その場に倒れたのが見えた。
寄せ手が、死傷者を置き去りにして退却したのち、点呼が行なわれ、仲間の一人、プルーヴェールが欠けていることが確認された。通りのはずれで、捕虜を銃殺する銃の響きが聞こえた。
「フランス万歳!」プルーヴェールの声であった。
暗闇の中で、マリユスを呼ぶ声がする。
身をかがめると、闇の中、彼の方へ這い寄って来る影が見えた。男装したエポニーヌである。
「あなたを狙っていた銃を見た?」
「うん、誰かがふさいでくれた」
「それが私の手だったの。弾丸は手を突き抜けて、背中から飛び出したの」
「ねえ、マリユスさん、あなたがあの庭へ入って行くのが、私にはつらかったの。馬鹿ね、自分であなたに家を教えておきながら」
「あなたをここへ引き寄せたのは私なのよ!あなたはもうじき死ぬわ。それでいて、あなたに狙いがつけられてるのを見たとき、私は銃口に手をあてた。なんて奇妙なんでしょう!」
死を前にして、エポニーヌは饒舌である。
マリユスは、この不幸な女を見つめていた。
「私のポケットに、あなた宛ての手紙が入ってるわ。ポストに入れてくれって頼まれたの」
「今度は、お礼に、約束して…」
「私が死んだら、額に接吻するって約束して」
「マリユスさん、私、あなたをいくらか恋してたんだわ」
これが、エポニーヌの最後の言葉であった。