<『砂の器』 その10> |
ハンセン氏病は、医学の進歩で特効薬もあって、現在では完全に回復し、社会復帰が続いている。
それを拒むものはまだ根強く残っている。非科学的な偏見と差別のみで、戦前に発病した本浦千代吉のような患者は、もうどこにもいない。
―しかし、
たとえどのように旅の形は変わっても、親と子の宿命だけは永遠のものである。
昭和18年、アメリカでハンセン病の治療薬「プロミン」の効果が発表されたが、当時の日本はアメリカと交戦中で情報が入らず、戦後の昭和21(1946)年に、日本でも「プロミン」の製造に成功して、ハンセン病が不治の病でなくなった。
それにもかかわらず、日本では世界と逆行する形で、昭和28年に「らい予防法(新法)」を制定し、戦後も長く隔離政策を継続した。
「らい予防法」が廃止され、隔離政策が法的に消滅したのは、平成8(1996)年のことである。
映画の終わり近く。
華やかな新進作曲家の偽りの人生、そうせざるを得なかった宿命を主題に作曲された曲「宿命」。ピアノを演奏する和賀英良の、顔のいたるところを汗、いや、汗だけではない、涙が一緒に頬を流れている。
逮捕のために会場に来た今西刑事も、演奏を聴きながら、らせん階段の途中で動かない。ギュッと奥歯をかみしめて顔がこわばっている。
シナリオを書いた橋本忍は、映画のプレスシートに、こんなことを書いていた。
人間はそれぞれ心の中に何か叫びたいことがある。過去の出来事かもしれない。現在の不満かもしれない。あるいは訳のわからない未来への呻きかもしれない。だが、人間は誰も叫ばない。不思議な微笑、ちょっとした不満、ささやかな怒りだけで生きていく。だから魂はみんな孤独なのだ。ある一人の作曲家が音楽を創り、発表する。自分の全人生の喜びと悲しみ、その陰の部分の犯罪まで含めて彼は叩きつける。この音楽家の全人生を執念で追いつめ逮捕する二人の刑事の方が、叩きつけるものが何もないだけに、かえって本当は孤独なのかもしれない。
含蓄の深い言葉である。